上杉謙信を迎え撃った池田城


 池田集落(伊勢屋の大杉がある所の近く)の南の小高い山の上には池田城跡があります。 (写真はそのうち載せます。)城が落とされてから約400年の歳月が流れた今では、 池田城へ続く道は草深く、遠い日の出来事は誰の心からも 忘れ去られたかのようです。
 この城がいつ築かれたのか、また主(あるじ)が誰であった かは、まだはっきりとわかっていません。 (池田城主については、寺島職定(もとさだ)説と、金森載定(のりさだ) があります)
 城主がだれであったにせよ池田城は、強い者が弱い者を打ち負かす戦国の 世にあって、越後の強敵上杉謙信の猛攻に必死で耐えていました。 窮地に立つ池田城を、大伝寺や上末千坊の僧が、あるいは岩峅寺・芦峅寺 の衆徒や僧兵が援助しました。 武器を持って一緒に戦ったり、食糧を送ってもらったり、 武器の調達を頼んだりもしたようです。 芦峅寺とのやりとりの様子は、芦峅寺一山会の人たちが大切にした 「芦峅寺古文書」の一部からうかがうことができます。
 こうして守りに守った池田城も、ついには上杉勢によって滅ぼされ 池田城に味方した大伝寺や上末千坊は謙信の手によって 火にかけられたと言われています。 上杉謙信は格別に信仰心の厚い武将でした。 その謙信が、寺院までも焼いたということは、池田城をあとおしした 各寺院の力がとても大きかったことを物語っています。