■ 立山の埋蔵金伝説
雄山から西南約10キロのところにある鍬崎山に埋蔵金伝説がある。
主人公は、柴田勝家と並び称された織田軍団の勇将、佐々成政である。
成政は初め尾張春日井のヒラユキ城を守る一武将として、織田信長に
従い、数々の武勲をあげて越中冨山で五四万国を領した。
越中にはいると、すぐに軍資金確保のため北陸の金鉱開発に力を注ぎ、
莫大な黄金を手中に収めた。
本能寺の変の後、天下人となった秀吉と勝家の抗争の際、勝家に味方
し、さらに小牧・永久手の合戦を知ると、秀吉打倒のために家康と、
同盟を結ぼうとした。
そこで敵の領地を避けて真冬のアルプス越えをし、往復20日の強行
軍で浜松の家康に会いに行った。俗にいう佐良越えである。
成政は2度目もアルプスを越え、越中冨山から浜松を往復したが、
家康との同盟は失敗。翌天正13年に秀吉の大軍に攻められて落城した。
成政は落城寸前に城中から秘かに小判百万両を持ち出し、立山山中、
または針ノ木岳付近に隠したと伝えられている。
その黄金には笹の葉模様が押されていて、四十九個の壺につめて埋めた
という。
その最有力地が立山線立山駅の南東五キロにある鍬崎山である。
「朝日さす、夕日かがやく、鍬崎に、七つむすび、七むすび、
黄金いっぱい、光りかがやく」という里謡が伝えられており、
それが黄金の位置を知らせる暗号だというのだ。
鍬崎山(二千九十メートル)には登山道がないが、今でも一攫千金
を夢見る山師がしばしば入山しているそうだ。
成政が埋蔵金を隠したのは水晶岳付近だという説もあり、立山東西の
内蔵助平の秘境だとする説もある。
十数年前、あるメーカーの「秘宝を探る」というシリーズの取材のた
め、成政の埋蔵金について調査したことがある。
一週間分の食糧とザイルなどの登山用具を背負い、ひとり扇沢から針
ノ木峠に入り、ココをベースに北葛岳、針の木谷、スバリ岳など連日
探査をつづけた。
そして食糧もそろそろ底をついてきた六日目、針の木岳の方から黒部
側の谷をみていて数十メートル下に、岩穴らしきものを見つけた。
そこで、ハイマツの太い幹を支点にザイルを固定して下りてみると、
直径二メートルほどの穴である。深さは約二.五メールあり、下の方
はよく分からない。ヘッドランプで探ってみると、丸い石のようなも
のがゴロゴロ並んでいた。確かめたかったが、一度はいったら周囲が
崩れそうな危険を感じてあきらめ下山した。
果たしてあれは時価数千億円という笹金たっだろうか。いまもわから
ない。その場所は誰にも教えていない。
立山・剣・黒部 金剛寺拳・著より
佐々成政とクロユリ伝説
佐々成政の埋蔵金情報
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